この世に生を受けた私たちはどこかの時点で死を迎えます。
とかく死は「忌まわしいこと」と受け止められがちですが、お釈迦様が「生病老死」を説かれたように、私たちは必ず「老いて病んで死」を迎えなければなりません。
安らかな最後を迎えるには死を受け入れることが重要と考えます。どこで死を迎えるか、「自宅」か、「病院」かを日頃から考えておく必要があります。
2012年9月、石飛幸三先生と言う特別養護老人ホームで看取りを行っている方の”平穏死という選択”と言う本が大変な反響を呼びました。
先生の長年の経験から、加齢で肉体が衰え、食べられなくなったとき、胃瘻など造らず、老衰期の医療の介入は出来るだけしない方が平穏に亡くなられるとの主張です。
私も基本的にこの考え方で患者さんに対応しております。
つまり、終末期のときは何もしない方が自然に、平穏に逝けるということです。

2018年10月28日(日曜日)の朝日新聞の「声」の欄に以下の文章が投稿されておりました。(原文のまま)

「蘇生しないで」、イギリスでは
ピアノ教師 K.Rさん(英国在住 61歳)
68歳の夫はレビー小体型認知症です。手足の震えなどのパーキンソン症状が認められることもあり、私はパーキンソン病のケアラーの会に顔を出しています。いろいろな問題を話し合ったり、ゲストを招いたりしており、とても助けになっています。先日、看取りに備えて、DNR(Do Not Resuscitate 蘇生しないでください)の書類を早めに作った方が良いという助言を受け、ホームドクターの元で作ってきました。最近、こんな話を聞きました。DNRを望む元看護師が考えた末、心臓の位置にタトゥーでDNRを入れたそうです。DNRはイギリスでとても普通のことです。皆さん、どう考えますか。

イギリスでは平穏死が自然な形で受け入れられているようです。